母子家庭だと様々な問題に直面することがあります。
その中で、母子家庭だからこそ感じる悩みで「父親がいる家庭が羨ましい」と感じて、つらい思いをしていたり、子どもが「父親がいる家庭を羨ましがっている」など悩むことがあると思います。
実際に親が再婚するまでは、僕も父親がいる家庭が羨ましいと感じたことがありました。
そんな、悩みを持つ子どもと母親に向けて、母子家庭を経験したからこそ感じたことと僕なりの考え方をまとめました。
- 両親のいる家庭が羨ましいと感じてしまうのは普通のこと
- 誰にも言えない理由
- すぐ近くに一番の理解者は母親であること
この記事を読むことで、みなさんが悩んでいることが少しでも楽になるかもしれません。
1つの考え方として、是非参考にしてみてください。
両親のいる家庭が羨ましいと感じてしまうのは普通のこと
母子家庭の多くは「両親のいる家庭が羨ましい」と感じたことがあるはずです。
それは、子どもに限らず母親も感じることのある悩みだと思います。
しかし、「羨ましい」と思う感情は普通のことです。
僕も父親がいなかった時は、他の家庭を「羨ましい」と思ったことがあります。
「羨ましい」から「つらい」に変わってしまう時もありました。
自分には父親がいないから、両親のいる家庭が羨ましく思うのは当たり前です。
人間は、自分には持っていないものを持っている人に「羨ましい」と感じる生き物です。
それは母子家庭の父親がいないことに限らず、全てのことに感じる感情です。
「あの子は人気があって羨ましい」「あの子はゲームを買ってもらっていて羨ましい」など、相手に対して羨ましいと、みんな思っていることです。
人間はみんな「ないものねだり」します。だから、両親がいる家庭が「羨ましい」と思うことは普通のことです。
羨ましいと感じてしまうのはどんな時?
「羨ましい」と感じてはいますが、常に感じているわけではないと思います。
何かそう思わせる出来事があったから、そう感じてしまいます。
では、子どもが「羨ましい」と感じてしまうのは、どんなことがあった時なのでしょうか。
子どもの多くは、家族円満な姿を目にしたときに「羨ましい」と感じることがほとんどです。
家族で買い物をしている姿や家族が公園で楽しそうに遊んでいる姿など、お父さんがいてこそ成り立つ光景に嫉妬さえしてしまいます。
僕が幼い頃、自転車に乗れなくて困っていて、母に「他の家はお父さんに教えてもらっている」と愚痴をこぼしたそうです。
母もその言葉はつらかったと思います。
兄も逆上がりができなかった時に同じことを言ったそうです。
確かに、家庭の裏側では円満ではないこともありますが、母子家庭の子どもからしたら、今目に見えているその光景に羨ましさを感じます。
たとえ、幸せそうな家庭が表面だけだったとしても、父のいない母子家庭育ちの子どもからしたら羨ましいです。
誰にも言えないのではなく、言おうとしていない
父親がいる家庭を「羨ましい」と思う気持ちを誰かに話せば少しは気持ちが楽にはなりますが、肝心の話す相手がいないことがつらいことです。
友達に同じ母子家庭で育っている子どもがいれば「羨ましいよね」と共感したりできますが、そんなな友達が都合よくいたりしません。
両親に育てられている友達に「羨ましい」と言っても、「そんなにいいもんじゃないよ」「その気持ちはわからない」と言われてしまうと思います。
母親に言おうと思っても、「迷惑をかけてしまう」「負担をかけてしまう」と思ってしまいます。
だから、結果として誰にも言えずに自分の中で抱え込んでしまい、つらいと感じてしまいます。
子どもは言えないと思い込んでいるだけで、実際には言おうとすらしていないことの方が多いです。
「言っても意味がない」「言っても変わらない」と思ってしまっているからです。
しかし、本当は意味がなくても、変わらなくてもいいから、今は話せる相手が欲しいと感じていると思います。
その気持ちに子どもは気づけていないだけです。
僕も子どもの頃に「羨ましい」と感じて、つらいと思っていたことがありましたが、大人になりあの時話せる相手が欲しかったとつくづく思います。
今誰にも言えずに悩んでいるのは、諦めてそもそも言おうとすらしていないのが原因だと思います。
すぐ近くに一番の理解者がいる
母子家庭でも1番近くにいる人が必ずいるはずです。
母親・兄弟・祖父母など1番近くにいて、1番理解してくれる人が必ずいます。
特に、生まれたときからずっと一緒に過ごしてきた母親は1番の理解者であり、相談相手になります。
先ほど、母親に言おうと思っても、「迷惑をかけてしまう」「負担をかけてしまう」と思ってしまうと言いましたが、それを迷惑や負担だと思う母親はいないと思います。
むしろ、理解しようと努力し、心配して解決策を探してくれる方が多いのではないでしょうか。
父親の顔を知らなくても人生に支障はない
幼少期に離婚して、子どもが大きくなってくると「父親の顔を知らない」ことに悩むことがあります。
僕も生まれてすぐに両親が離婚しているので父親の顔を知りません。
今後も探そうとは思っていません。
父親の顔を知らなくても全く人生に支障は出ていないから知らなくてもいいと思っています。
親の再婚で父の家系とは全く血の繋がりはありません。父親違いの弟もいます。
母方の祖父母はおばあちゃんが再婚しているのでおじいちゃんは血がつながってません。
さらに、母は養子に出て育っているので血の繋がらないおじいちゃん・おばあちゃんもいます。
つまり、僕にとって血の繋がりはそこまで重要ではなく、誰がそばにいてくれたかが重要でした。
人生は短いのに、つらい・楽しいなどの話をしたことがない、そばにいなかった父親のことを探している時間がもったいないと感じてしまいます。
子どもが生まれるとき何もできない自分に思いました。男は無力です。
女性は命を懸けて出産します。ですが男は快楽のみ。
女性が出産で命を懸けたなら、男は家族を守るために命を懸けるべきです。
それができなかった顔も知らない父親を知りたいとは思えないのが僕の考え方です。
最後に
母子家庭で育つと「羨ましい」と思ってしまうのは至って普通のことです。
人間なら誰しも感じる感情なので、自分を責める必要もありません。
本当につらいときは我慢せずに話してみると心が軽くなります。
話す相手は1番そばにいる人が理解者です。
話すだけでもかなり楽になれるので、「言っても意味がない」「負担をかけたくない」と思わずに話してみてください。
今回は「父親がいる子どもが羨ましいと感じてしまう」という悩みについて、母子家庭だったからこそ思った僕なりの考えをまとめてみました。
少しでも皆さんの心が楽になっていただけたらと思います。
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